独立宣言ブログ

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ーお客様第一を徹底するということー

2015年6月19日 12:40

『一にち一みり』 NO.061

ーお客様第一を徹底するということー

仕事には様々な種類があります。古典的には、一次産業(主に自然を相手の、農業、鉱業、漁業)、二次産業(加工業、製造業)、三次産業(一次、二次以外の全産業、広い意味でのサービス業)。
最近では、一次も二次も三次も一手にやってしまおうという六次産業という言葉もあります。
戦後の高度成長期には、人口の増加や、所得の飛躍的な増加に伴うマーケットの拡大により、どの産業も皆が勝ち組、正に現在の途上国の様相だったと思います。主に、プロダクトアウト、作り手の理屈で業績を伸ばすことができた時代。その後、バブル時代、バブルがはじけ、リーマンショックなどの経済変動を経て今があります。少子化に伴う人口の減少、超高齢化社会をむかえての労働生産人口の減少。
マーケットも働き手も縮小し、皆が勝てる時代はとっくに過ぎ去り、プロダクトアウトではなく、マーケットイン、買い手の理屈を優先する時代と言われています。買い手の理屈を優先して考える、正にお客様第一を徹底するということです。ただ、プロダクトアウトが全否定されているわけではなく、必ずしも買い手が自分が欲しいものを知っているわけではなく、形ある商品として提案して初めて価値を知る、スマートフォンのような例もあります。
大切なことは、今や知恵や工夫の大競争の時代だということ。プロダクトアウトでもマーケットインでも、目線は常に買っていただくお役様に向いていなければならないということです。
最終的な消費者やユーザーにサービスや商品を提供する、サービス業的な視点、アプローチがどの産業にも欠かせない時代になったと思います。サービス業的な視点、アプローチとは、本当にきめ細やかにお客様の喜びや満足感、気持ちを理解しようとすること。サービス業に従事する女性比率は、他の産業と比較すればかなり高いはず。お客様第一を徹底するには、女性的な感性がすごく大切だということが分かります。

お客様第一を徹底するという、お客様とは誰のことでしょうか。
こんな経験をしたことがあります。
あるレストランでは、キッチンのコックさんが一番偉く、お客様の意向ではなくコックさんのご機嫌を伺いながら皆が仕事をしています。二度と行くまいと思いました。
一方、ある居酒屋では、キッチンの人もサービスをする人も、目で会話しながら和気あいあい、楽しそうに来てくれているお客様に集中している。本当に気持ちよく、また必ず来たいと思います。
レストランでは、顧客と接するのはキッチンで働いている人ではなく、お店でサービスをする人。
会社でも、営業の人や、販売する人が顧客との接点を持ちます。
顧客と接する人だけがサービスのあり方を考え実行すれば良いと考える人がいます。
これは間違い、最終的に買っていただくお客様に、サービスや商品を届けるために関与する人全てが、
お客様第一を徹底しなければなりません。一次的に貢献する相手をお客様と思う、お客様と見なすことが大事だと思います。間接部門の人は営業の最前線に立つ人を徹底的に支え、支援する工夫をする。
経営者にとっては、サービスや商品を生み出す社員も大切なお役様。お客様第一を徹底するということは、徹底的にチームが正しく機能する、チームワークを徹底的に向上させることです。

お客様第一を徹底するということを、ほとんどの人は分かっている、そんなこと常識だと考えます。
知識として分かっていることと、考え抜いて実践しているということには、大きな落差があります。
知識のみでは何もやっていないことと同義です。
日々の全ての仕事を、お客様のことを考えることに費やす、お役様のために行動することに費やす。
現在のお役様は誰か、将来お客様になっていただきたいお客様は誰か。どのようなお役様に、どんな喜びや満足を得ていただきたいのか。どのような強みや価値を提供すべきか。そのためにはどのような強みを備えるべきか。
考えに考え抜いて、たくさんの仮説を考え、様々に試してみる。
実践して初めて反応が分かり、仮説の正しさや間違いに気付きます。
お客様第一を徹底するということは、このようなPDCAサイクルを回し続けること。
すぐに成果がでる場面も、何年もかかることもあるかもしれません。
会社の仕事をこの一点のみにフォーカスして、正しくPDCAを回せば、お客様第一を徹底する深度がどんどん深くなると思います。

ー継続は力ー

2015年6月12日 13:51

『一にち一みり』 NO.060

一継続は力ー

今日は、継続は力ということを考えます。
先ずは継続する事とはどんな事か?各々の人が時々に応じて、やるべき事、やった方が良い事、本質的な事や大きな事を達成すためにすべき事だと思います。
他の人からの指導、アドバイスであったり、自発的な自分の思いや、自己実現を目指すために継続しようとします。

次に継続は力の力とはどういうことで、どうすれば養い強くすることができるのか。
ある事を、例えば毎日繰り返し持続する意志の強さと言い換える事ができます。

私は昔からいつも、こうなりたい、あのようになりたいと、あるべき姿や理想を空想したり妄想する事が好きでした。毎年年末になると来年こそはと考え始めます。1月1日からの歩み、三ヶ月後の成長した姿を思い描きます。ところが、本当に典型的な、絵に描いたような三日坊主。

ある時に気が付きます。すべき事は、毎度毎度三日坊主に終わってしまうのに、なぜタバコを吸うことはずっと継続できているのか?なぜ朝パッと起きる事ができないことを継続できているのか?
分かりました。食後の一服や毎晩の夜更かしを、意識しなくてもできるようになるほど反復練習した成果なのです。無意識にできる、つまり習慣化した結果です。

よし、良い事を習慣化する訓練をしようと決めました。そのためには、とにかくやる行為そのもののハードルが低い方が実現しやすそうです。当時、脚下照顧という言葉を知りました。仏教の言葉で、本来の意味は、他に理屈を言う前に、先ずは自分の足元を見よ、自分を顧みることが大事だということだそうです。一般的には寺の玄関などにこの言葉を貼り、脱いだ履き物を整えよ、という戒めの言葉として使われています。
さすがにこれならできるだろう。家に帰った瞬間の数秒で、自分と家人の靴をそろえることはできるはず。以来もう何年もやり続け、すっかり習慣となりました。本当に些細なことですがこれを契機に、三日坊主病が徐々に治りました。今では、毎日やるべき事、毎週やるべき事などのto do listを定め、継続することができています。1日や2日抜けてしまっても神経質にならずに3日目に再開すれば良しと、気楽に継続しています。
こんな経験を経て考えると、継続するための意志の力とは、何かを継続することで強くなる、継続すればするほど強くなる。さらには継続する時間が長くなると習慣化できる、今ではこんな風に思っています。

プライベートでも会社の仕事でも、何も意識せずに生活をしていると、後から振り返ると5年や10年はあっという間に過ぎてしまいます。もちろん日々忙しく過ごしています。日々、細かく時間を区切られ、時間に追われ、あれもこれもと慌ただしく過ごしています。ただ、深呼吸して考えれば、我が人生をどのようにしたいのか?、会社の業務を根本的に変化するには?などの本来最も多くの時間を費やして考えるべき本質的な事に目が向かない、本質的な事ほど先送り。冷静に考えれば、本質的な事ほど時間をかけるべきであり、本質的な事の高みを目指して、日々継続して努力すべきという事は、誰にも理解できる事です。ここは一旦踏ん張って、忙しくて手が回らないということではなく、本来もっとも時間をかけるべき本質に迫る。より本質的で大事なことにアプローチするための行動を、継続し、習慣化するまでやり抜く事が大事だと思います。最後に継続して習慣化すべきことを一つだけ挙げるとすると、それはものごとの本質を問い続ける、探し続けることだと思っています。

ー叱ること 叱られることー

2015年6月5日 14:03

『一にち一みり』 NO.059

一叱ること 叱られることー

叱ること、叱られることを考えてみました。
叱ることは、子供にとって、特にもの心がつく過程では大切な親の役割だと思います。
ただ、昔ほど大人が子供を叱る、叱責する場面が少なくなったように思います。
かつて、一般的には親も教師も、理にかなっているか理不尽かに関わらず、叱りとばすことが多かった。従って、叱る側も叱られる側も、叱ることに慣れている、叱ることへの免疫が備わっていたように思います。かつて私も会社に入って間もない頃、ある部長からあたりに響く大声で、バッカモーンと罵倒された事があります。びっくりしたと同時に、やった本気で叱られたと、痛快な思いでいっぱいでした。すごく信頼感があり、仕事ができ、公平な方だったから、この人に大声で叱られ本当に良かったと思いました。後にも先にもこのような叱責の経験はありません。

何故人は叱るのだろう、何故人は叱られるのだろうか?
叱る人と、叱られる人との価値観の異なり、考えの差異、行動の取り方の違いなどの、何らかの相違、ギャップがあるからこその行為、その人のためになるべき行為だと思います。
叱るばかりではなく、何らかの動機付けをして、子供や部下の育成をはかる責任を持っている人は、子供や部下との接し方を日頃からじっくりと考えておくことが大切な気がします。
ケースに応じて、叱る、注意する、ほめる、励ます、物事の道理を理解していない場合は理を持って諭す、教えるなど、育成するためのガイドを自分の中に備える事が必要だと思います。
このような拠り所がないと、その場をしのぐだけ、場当たり的、一貫性のない行為を繰り返すことになります。正に、動機付けいかんによっては、子供や社員の自由な考えや、行動する芽を積む行為になりかねません。子供も社員も何が正しいか判断できずに、結果、親や時々の上司の顔色ばかりを気にする人を育成してしまいます。
私の経験からは、叱るべき場面では、即座に、短時間叱る、あるいは注意する、諭す。
併せて、何故叱るかの道理、理屈を伝える。叱られた人が前向きに次のステップを歩めるように、後のフォローをすることが大事だと思います。
ただ、何時も思うようにできたわけではなく、事なかれ的に済ます、穏便に納める、曖昧なまま放置することも多くありました。振り返れば、そうした方が良かった、いや反省することしきりと、様々な思いに駆られながら今に至るというのが正直な気持ちです。
ただ人を育成する責任を負っている人は、周りの人を動機づけることを意識しておこなうことと、動機付けた結果について常に考え続けることが大事だと思います。