独立宣言ブログ

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ーロマンとリアリズムー

2015年1月11日 21:17

『一にち一みり』 NO.044

ーロマンとリアリズムー

自分は一体どこに行きたいのか、自分は本当には何をしたいのか?
なかなか結論が分からない、結論の導き方がわからない、と長く考えてきました。

P.ドラッカー先生は、自分の人生を終えた時、墓標に何と刻んで欲しいかを考えなさい。
すると自ずから求める道が見えてくるとおっしゃっています。
お墓に、この人は何々をなした人と書く習慣が少ない我々には、
少しピンときませんが、趣旨はよく理解ができる。

どんな風に書かれたいか。
自分にとっても、残った子孫にとっても、人のためになることをした人、
と書かれることが最も収まりが良いと思います。

夢の実現には人の数だけ、さまざまな形があります。

冒険をする、小説を書く、芸術をする、仕事をする、農業や漁業に従事する、
教育育成する、物作りをする、街おこしをする・・・

このような活動は社会との接点を持ち、社会の一員として社会に貢献することだと思います。
結果、人間としての豊かな自己能力や個性を、
より高く実現させていこうとすることだと思います。

言い換えると、人のためとは、自分以外の他者に、
他者が喜ぶと思うこと、他者が満足するであろうことを提供することです。
他者の喜びや満足は無限です。
他者の喜びや満足を実現させるために、自分のキャリアや知識、能力を役立てることができると思うと、勇気百倍、ものすごくやる気が出ます。
私のキャリアや知識、能力を成長させることも、我が充足感も無限大ということだ。

人が求めるロマンを応援し、リアリズムに徹する活動をしよう。

ー自分への投資ー

2015年1月10日 23:42

『一にち一みり』 NO.043

ー自分への投資ー

長く会社員をしていると、何でも会社がしてくれる習慣が植えつけられる。
仕事で用いるノートやペン、あらゆる備品は会社持ち。
出張旅費は当然ながら、市場調査と称して、出歩く際もすべての交通費は会社持ち。
新入社員で入社して、初任者研修に始まり、なんだかんだ毎年のように、研修を繰り返す。
もちろん研修費用はすべて会社が負担する。
社員の成長が、会社にとっての生命線と思って、毎年大きなコストを支出する。

社員研修に会社が費やすコストに見合う成果を、果たして達しているのだろうか。
研修の成果とは、どのような状況で最大化するのか。

当然ながら、「水を飲みたい人に水を飲ませろ」、が正しい考え。
やる気を持っている人に研修を実施すべきということは自明の理。

会社の命令だから、これも仕事と割り切ろう。
研修時間を過ぎるのをじっと耐える、待って終える。

この両者には、月とすっぽんほどの落差。

研修時間は、通常の仕事から離れて、つまり、すべき仕事を放棄させて研修に参加させる。
費やすコストは、研修費用(講師料や教材費)+研修時間分のその人の人件費。
もし、すべき仕事を研修のために時間外でおこなえば、時間外の人件費もプラスのコスト。

会社は、これほどのお金を支払ってでも、社員教育を実施する。
成果をきちっとあげる人には、その個人にも会社にとっても十分なリターンとなる。

□コストを費やす会社からの視点

先ずは、会社として、毎年繰り返される研修の在り方に一石を投じる必要がありそうだ。
研修を実施する組織は、毎年獲得した予算を消化すること、
予定通り研修を実施することが目的化する。
本来会社にとって研修を何のために実施するのか、原点に立ち返って考えよう。

◇水を飲みたいという人を一人でも増やすにはどうすべきか。
◇いやいや参加した研修だけれども、終えてみれば良い時間と振り返られる研修内容。
◇研修メニューが魅力溢れ、是非とも参加させて欲しいと思わせる。
◇エリートを選抜しての研修よりは、やりたい人に受けさせる。

今までは、すべてを会社が用意してくれる、いわば会社のお仕着せプログラム。
自分のことは自分でする、自分で賄う、自分から進んで自己成長をはかることをしてみたい。

□自分への投資

◇すごく至近な例として、会社お仕着せの文房具ではなく、
少しおしゃれなノートやペンを自腹で用意する。
周りの人とわずかな違いなれども、一字一句を大切に書き込む気持ち良さを味わおう。
◇自己成長、自己啓発をはかるために、会社に依存せずに自ら学びたいプログラムを探そう。
休日や夜間のオフタイムに、自腹で参加してみよう。
先ほどからの議論から、水を飲みたい自分が飲みに行く、
成果の大きさが最大化することは間違いなし。
自分で費用を払う厳しさと、払って初めて分かる真剣さを味わいつくしてこそ、
大きな果実を受け取れる。

ー良き出会いー

2015年1月9日 21:02

『一にち一みり』 NO.042

ー良き出会いー

普通に生活していても、好む好まずに関わらずたくさんの人にお会いします。
会うことを意図しなくとも出会います。
今までの私は、出会うということを格別に意識したことはなく、
日常にごく普通に起こることと捉えてきました。

会社を離れて一人で仕事を始めると、出会いを求める事も大切な仕事となりました。
一人で仕事を始めてわずかな時間しか経っていませんが、
見ず知らずの人ではなく、知り合い親しくさせていただいている方からのお仕事がほとんど。
あるいは、そこから派生して仕事ぶりを見てくださって声をかけてくださるケースもあります。
出会いが大切な人生のひとこまと思うことが多くなりました。

人との出会いという前に、以前から思ってきたことがあります。
本との出会いです。

タイトルがはっきりした書籍は、ネットで注文しますが、
大きな書店に行くことには別の楽しみがあります。

多くの陳列された本の中を歩く。
さまざまなジャンルの中から、ビジネス、音楽、登山やマラソン、料理に小説。
最近興味がわいてきた、家具や木工、趣味のコーナー、筋トレ、健康。
たまには、全く私の興味の外側にある、学術書や各種資格のコーナー。
こんなこともあんなことも、専門領域は果てしなし。

その内にある本が目に飛び込んできます。
本の群れの中に分けいれば、必ず時々の私が読むべき本に出会えることができる。
本が私を呼んでいる、と信じています。

今の最大の関心事は、ご縁ある人との出会い。

本を探すには本の群れに近付かなければなりません。
この世の中には人があふれています。
どんなプロセスで出会いは生まれるのか?

□あるひとりに出会うまで

◇この世には人が沢山いる、ひとりひとりに挨拶して回る時間はない。
◇合おうとする人を絞ろう。
◇あなたはいったい誰と会いたいのか。
◇やはり自分と価値観が近い人、意気投合、共感できる人。
◇自分の価値観がはっきり言えるか、文章にしてみよう。
◇目につくところに貼っておこう。
◇できたらブログなどで表明してしまおう。
◇そのうち、良かったらこちらのコミュニティーに入りませんかと声かかる。
◇少しずつ知り合いの輪が広がり、自分も新たな人に声かける。

こんな感じで、あちこち出会いの場ができる。
もちろん普通の社会生活と同様に、対等な立場で、与えられたり与えたり。

待っていては何も生まれない、たゆまず行動続けることだ。

「遠き過去 妻と出会って 幾年月
いつの間にやら 我が仲間」

ー命を守るー

2015年1月8日 14:33

『一にち一みり』 NO.041

ー命を守るー

私たちの日常は、携帯で瞬時にどこにいても仲間や世間とつながることができる。
交通網は発達し、特に都会では利便性がますます高くなっている。
こんな環境で、未来永劫私は安全、私の身に突然襲う危険なんかあり得ない。
こんな態度で生活しているように見える人を多く見かける。
歩きスマホに、音楽聞きながらの自転車走行。

誰にでも、大なり小なり危険な目にあうことや、実際に怪我をしてしまった経験があると思う
私は会社に入って間もない頃、考え事をしながら台車を動かし、
あっと思った瞬間、台車と壁の間に小指を挟んでしまった。
ほんの瞬間の出来事、ささいなと思ったものの小指に激痛、爪が無くなっていました。
後から何度もなんども、何でこんなことが起きたのか、反芻。
台車を操縦するということに全く神経を注いでいなかった、
ぼんやりと動かしていたんだと気が付きました。

もう一つ、私の不注意から家人をすごく危険な目に合わせたことがあります。
これも、そのことに集中せずに他のことを考えながら起こしたこと。
他にも、小さな怪我や、危ない場面だったけれど幸いにも何もなかったケースも多くあります。
よく分かったことは、
予想だにしないことは、普通に起きるということ。
その瞬間から、日常が大きく変化するということ。
人に起こることは、自分にも起こるということ。

このように生活する場は、常に危険と隣合わせ。
事が起こってからでは手遅れという事態の可能性もあります。
何気ない日常生活にも、日常を続けることができなくなる事があるということを、
よく分かりながら生活を送るべきです。

私たちの生活には、道を歩く、自転車に乗る、車を運転する、ホームを歩く、
階段を上る下る、山を歩く、海に行く、スポーツするなど、様々なシーンがあります。
自分の行動次第で相当危険な状況を招く場面です。

一方で、電車や新幹線、飛行機の中、自宅や教室、会社にいることも多いと思います。
自分ではコントロールできない大きな力が働いて危険を招く可能性はあるものの、
自分の行動で危険を招くことは、前者と比べて比較して少ない場面です。

人はいつも神経を張り詰めていることはできません。少なくとも危険と隣り合わせの状況では、自分の身を守ることと、人に危険を与えないことに全神経を注ぐべき。

生活の場面で瞬時に判断し、危険かもしれない、危険かなという場面では、
絶対に手を抜かない、ていねいにより安全と思う行動をする。
意識の持ち方ひとつで防げることは多いと思います。
それでも危険や病気は防げない、最後は運命、天命と受け入れることだと思います。

ただ、人生たくさんのことに挑戦したい、あれもこれもやりたいことを実現するには、
先ずはご先祖様から頂いた命を大切にする事が、最も優先する事項だと思うのです。

会議の場で居眠りすることと、ホームの端を歩くこととは全く次元が違うこと。
ホームを歩く時には、歩くことのみに真剣に集中すべきと思います。

ープロフェッショナルを目指すー

2015年1月7日 17:57

『一にち一みり』 NO.040

ープロフェッショナルを目指すー

プロフェッショナル、プロとはどういうことを指すのだろう。
お金を得るのがプロで、得ないのはアマチュア。
このように考えると、世の中プロだらけ。

プロフェッショナルというのは、このようにお金を稼ぐ集団の中から、
特別な、傑出した人を指す言葉だと思う。

プロ野球選手、プロゴルファー、プロの料理人、無形文化財・・・
どちらかというと自分でプロと標榜するというよりも世間がプロと認定する。
では、プロと認められるには、どのような条件を満たす必要があるだろうか。

□プロフェッショルの条件

◇ある仕事で傑出した能力がる。
◇求められる成果を達するためには、人の何倍も継続して努力する。
◇与えられた仕事に対し大きな責任を背負い、必ず結果をだす。
◇対価を払ってくれるお客様に最大限の満足をもたらそうとする。
◇自分のパフォーマンスに対するコスト、自分が得るべき正当な対価を求める。

このようにプロを定義して、会社のサラリーマンも行政マンも家庭の主婦も、
今日から私はプロフェッショナルを目指すと宣言しよう。

例えば、会社だったら、このように考える。
私は今日から会社に雇用されている人間ではない。
私は、この会社と1年更新の業務委託契約を締結したプロの経営コンサルタントだ。
会社から、プロと認められてお仕事をいただきました。

会社も周りのメンバーも、今日から私の大切なお客様。
お客様が何を求めているのか、お客様に取っての大切な価値は何か。
経営コンサルタントの私に求めていることは何か。
私がお客様に貢献すべき価値は何か。
早速ヒアリングをはじめよう。

契約期限は一年ポッキリ。1年後に契約継続してくれないかもしれない。
短期決戦四半期ごとに、挙げる成果の目標を定め、必ず目に見える結果を出そう。
リピートオーダーしてもらうためには、
お客様の満足を最大化させて最高のパフォーマンスを演じよう。

私の今の年収は、◯百万円。
今日から、私の業務委託契約の報酬が、年俸◯百万円。
これから会社は人件費ではなく、
成果を求めてアウトソースのコストとして私に費やします。

プロとして、この会社にもたらすべき利益を考えます。
会社は人を雇用する場合、本人に払う給与以外にも
社会保険料、退職金の積み立て金などで給与の倍以上の人件費コストを費やします。
通常のサラリーマンでも、内容のいい会社では、人件費の3倍ぐらいの利益を稼ぎ出す。
プロと名乗る以上は、最低でも、人件費2×◯百万円の5倍を超える利益を、
お客様にもたらしたい。

このように心の中でプロと宣言し、プロとして実際に振る舞うことは、
たくさんのメリットが生まれます。

□プロとなるメリット

◇誰にも依存せず、全ては自己責任で仕事に邁進、達成感にあふれた日々。
◇時間意識して、必ず結果を出すことを繰り返す。大きな自己成長に直結する。
◇今までの上司も部下も同僚も、全ては大切なお客様。
私に対価を払ってくれるクライアント。
一定の距離感を保って丁寧に接することだけを心がければ、人間関係極めてスムース。
◇会社に取っては、仕事への高い意識を持ち、必ず結果をもたらす社員の出現に、
諸手を上げて大歓迎。
◇一人一人がこのように変化すれば、最強の組織に変化する。

新入社員や転職したばかり、今は能力秀でていなくとも、
プロの姿勢と行動を貫けば、必ずやがてはスーパーサラリーマン。

今日から胸を張って私はプロです、と声高らかに宣言しよう。

ーひとつひとつをきちんと決めるー

2015年1月6日 16:10

『一にち一みり』 NO.039

ーひとつひとつをきちんと決めるー

毎日毎日、仕事や日常生活で、あれもこれもやらなければならないことに囲まれています。
大切なことも、些細なことも、それこそ玉石混交。
その中から、どのような考えの元に、やろうとすることと、やらないことを判断しているのか。
仕事であれば、仕事の目的に合致しているか、今行うべきか、他に優先すべきことがないか、
頼まれた人との関係が大切か・・・

日常生活での判断は、ほとんどの場合は人との関係性による、
妻、子供、友人、同僚、先輩、後輩、地域の仲間・・・

もちろん、仕事でもなく、周りの人との関係でもなく、
自分が自分と約束したこともあります。

最初の関門は、やるかやらざるか、引き受けるか、お断りするか。
何でもかんでもやろうとすることは無謀というもの。
一人でできる範囲も時間も限られた人生。
先ずは、時間をかけずに自分の勘を信じて即刻判断したい。

ここで、やるべきリストが完成する。
大事なことは、やりますと約束した事実。
自分のためになることも、相手のためであることも、一端約束したら必ず履行する。
立派に完遂しますと自分と約束する。

特に人と約束したことは、飲み会でも、ちょっとした打ち合わせでも、必ず守る。
自分の与えられた役割をきちんとこなす。
大なり小なり、さまざまな事柄に対しおこなうということは、
参加する、話を聞く、話をする、手を動かすということ。

私は、単にそこに行けばいい、そこにいれば良いのだろうか。
きっとそこに呼んでくれた人の思いには、あの人いてくれると事がまとまる、
場の空気が温まるなど、本来私にやってもらたい役割がある場合が多い気がする。
お声がかかるということは、実はこんな背景があるからだと思います。
人が私の役目を分かってくれて、呼んでいただいているのかもしれません。

ささやかな会にも、きっと小さな目的があります。
大事な仕事には、もちろんはっきりとした目的があります。
どちらに対しても、持てる力を最大化して取り組もう。
手を抜かないで、きっちり決める。
大も小も、ひとつひとつを決める、決めることを習慣化することが大事だ。

何故ならば、
◇やると決めることは、自分ごととして宣言をすること。
◇何のためかを考えて、行動する、ということは、自己を成長させる糧となる。

ー理屈と実践ー

2015年1月5日 10:54

『一にち一みり』 NO.038

ー理屈と実践ー

学校の勉強から、クラブ活動、社会に入ってからも、学ぶ機会は本当にたくさんあります。
振り返れば本当に沢山の先生から、さまざま教わってきました。
もちろん教わるばかりではなく、子供を育てる、会社の新入社員を教育するなど、教える機会もいつの間にか多くなります。
教えられたり、教えたり、思えば人が年齢を重ねていくということは、
多くの手間と時間が掛かります。

□理屈教育・・・なんども何度も手を変え品を変え。

例えば、小学校で習う算数や理科や社会の勉強。最初は、基礎の基礎から紐解いて、
先ずは第一段階が終了する。中学に入り、高校に行き、算数は数一、数二、数三、理科は化学や生物、物理、社会は地理に日本史、世界史に。
真面目に取り組んでいれば、それなりに各々の分野に明るくなる。
言ってみれば、その時々が完璧ではなくとも、何度も何度も刷り込めば、
やがては頭に染み込むだろうという方法。
ほとんどの学習場面は、教室という場での理屈教育。

□実践教育・・・スポーツや習い事でのアプローチ。

チームスポーツといえども、基本は一人一人の技量に応じて、個人個人を個別に指導。
広く浅くというよりも、ある技に習熟するまで反復練習。とにかく圧倒的に具体的な経験を積ませる。体に覚え込ませる。

□理屈教育、実践教育。

いわば、卵焼きの作り方を、料理教室で習ったことがあることと、
習った卵焼きを、100個焼いた経験がある、ぐらいの差がある。
それぞれには、きちんとしたメリットがあるのだと思う。

理屈教育は、多面的な知識を身につけることで、知恵の受け皿が整備される。
広い視野やふかん的に眺める視点、全体から、森を見て考える力を身に付ける。

実践教育は、実際に実施できる力を養う。
仕事を前に進める、実際に事を動かす力を付ける。仕事の大半は、理屈を応用しての実践です。
人の成長にとって、あるいは人が何事かを成すためには、
常に理屈と実践のバランスが大切になります。

□会社の仕事での理屈と実践

創業社長は、いっててみれば自分の中に、実践と理屈が共存しています。
苦労して現場から叩き上げ、現場のあるべき姿、実践を熟知しています。
同じ人が、理屈としての作戦を考え号令一下進めます。
理想の在り方、存続する会社の姿です。

やがて、二代目や三代目に代替わり、あるいは会社の規模が大きくなるに連れて、
現場と作戦を考える部門は、別々の人が担うようになります。
創業社長の時代と比べれば、意思疎通に時間がかかる、
コミュニケーションがうまく機能しないなど、さまざまな課題が生まれます。

このように、会社には現場部門と、作戦を練る企画部門が、車の両輪として存在します。

◇現場部門の役割。

全てのリアルなことがらは、お客様との接点である現場で起きます。
お客様と接する部門が、お客様の声を直接聞き、正しく課題を見つけることができます。
⚪︎販売活動
⚪︎営業活動
⚪︎仕入れ、購買業務。
⚪︎製造活動
⚪︎販売促進活動
⚪︎広報活動など

◇企画部門の役割。

一方、大きな視野、高い視点から、会社のいく末を考え、実際に実施するための具体的な作戦を考えるのが企画部門です。

⚪︎最も大事な、現場での課題を収集する機能。
⚪︎内部から抽出した課題と外部環境の変化を織り込んで会社の進むべきいく末を考察する。
⚪︎考察を元に、短期的な作戦と中期的な戦略形成をはかる。

◇両輪を機能させるには。

実際の人の配置は、現場部門に99%、企画部門1%程度だと思います。
少数精鋭の1%の人の素質、素養に、機能の成否が掛かります。

◇企画部門の人は。

⚪︎現場での実践を通じてお客様とのコミュニケーション経験を十分に積んでいる。
⚪︎フットワークよく足しげく現場に通い、現場の人から絶大な信頼を得られる。
⚪︎会社の外から自社を客観的に眺めることができ、高い視点から企画が立てられる。
⚪︎経営者に対して理を持って直言ができる。

頭では真っ直ぐに帰らなければと思いつつ、つい赤提灯をくぐってしまう。
ひとりの中でも理屈と実践がぎくしゃくします。

会社の中では、きっと恐ろしいぐらいに矛盾あることが、
まかり通っているはずだという前提で、
両部門が円滑に常に機能するように、日々是正する覚悟が必要だ。

ー類は友を呼ぶー

2015年1月3日 18:23

『一にち一みり』 NO.037

ー類は友を呼ぶー

学生時代の友人、会社での気の合う仲間。
一方通行ではなく、お互いに共感し共鳴する関係。
出会いは縁。
縁あって出会う多くの人の中から、友人ができる、仲間ができる。

類は友を呼ぶ。 デジタル大辞泉
類とは、お互いに似ていること。同じ種類のものであること。
友を呼ぶとは、似ている、同じ種類の人達同士が友人となる。

朱に交われば赤くなる。
人は交わる友達によって、善悪どちらにも感化される。
良くも悪くも付き合う友人の影響を受けるということ。

二つのことが、正しいならば、次のように考えることができそうだ。
この世の中で出会った人は、大海の一滴の人達。
きっとまだ見ぬ、すごい人がたくさんいるはず。
尊敬する人、魅力あふれる人、その人の全てから学ぶことができる人。
その人に一歩でも近づきたいと思う人、あこがれる人、かっこいいと思う人。

友になるということを、少し広い意味に解釈しよう。
属性の類似した者どうしのみの交友は、いかにも狭く、刺激が薄い。
必ずしも友人にならなくとも、同じ志を持つ、成長意欲の高い仲間も求めたい。

そのためには、同じ思いを持つ人が呼応して仲間、友になるという理屈であれば、
自分を磨く、今の自分を一歩でも高みに立たせることが必要だ。
単にすごいと思う人を求めるのではなく、
未来に出会える人にとって、相応しい自分に成長させることができれば、
自然と求める人に出会えるということ。

魅力あふれて
周りをパッと明るく照らし
一緒にいると楽しい気分
力もらえて
洋々とした未来を予感させる

宮澤賢治的に言うと、サウイフヒトニワタシハナリタイ
こんな私を目指してみよう

「初春の 新たな友と 酌み交わす」

ー空気やムードに流されずー

2015年1月2日 12:08

『一にち一みり』 NO.036

ー空気やムードに流されずー

数年前の政権交代での最大の成果は、事業仕分けだと思います。
国家行政、地方行政に紐づく組織が、全国津々浦々に配置されていること。
行政職員の再就職先、巨大な雇用の受け皿になっていたこと。
初めて、事業仕分けという言葉から知りました。

今後とも存在する価値がある組織と、そうではない組織を仕分けます。
連日の報道、特にテレビの生中継で、お白州の場に引き立てられた人々を映します。
政治ショーとしては、ある意味溜飲が下がる思いがしました。
連日、事業仕分けという言葉が飛び交いましたが、今は一体なんだったんだ、
まだまだ道半ばだったんじゃありませんかと、誰かに聞いいてみたい思いです。

世論はお盆の上の豆のごとし。
左に傾ければ一斉に左に転がり、右に転ずれば一斉に右に転がる。

ちょうど同じ頃、マニフェストという言葉も、事業仕分けという言葉と同様、
マスコミの最多出場言葉だったと思います。
私の認識、マニフェスト、選挙公約とは、選挙権を持っている国民との約束。
誠実に必ず履行しますという契約だと思ってきました。
その後、この認識が一変することになります。

世の中は、時々の空気やムードに大きく流されて動いているように感じます。
ある報道にびっくりしました、国民のマスコミ報道への信頼感。
米国やヨーロッパの信頼度は30%未満、イギリスに至っては13%。
マスコミ報道を信じない、視点の一つ程度にしか思わない。
他人の言うことに左右されのではなく、自分の頭で考えることを信じるのだと思います。
アジア諸国、とりわけ我が日本は72%、ほとんどマスコミを信じていますという結果。

大手マスコミの論調に日本全体の空気やムードが作られているのかもしれません。
ただ、マスコミが、イニシアティブを取ってリードしているのではなく、
時々の政権の動きや事件事故災害などに対する、
国民、大衆の反応、空気やムードを反映しているのだと思います。
まさに、お盆の上の豆のように動いているのかもしれません。

これはどういうことを示しているか。
50年先、100年先を見通した、あるべき姿についての一貫した考えのもとに、
国は動いてはいない、ということです。

日本村がもしこのように動いているとすると、それぞれの組織や会社も同様かもしれません。
会社も空気やムードに流されて、一人一人も空気やムードに流される。

そこで私はどうすべきか?

ちょうど、日経新聞の私の履歴書に、世界の王さんの連載が始まりました。

外側から見ると、僕の一本足打法は器用に見えると思うけれど、
不器用だったので、あのスタイルしかできなかった。
極端な王シフトが引かれたので、
流し打ちができればいくらでもヒットを量産できたけれど、流す器用さはなかった。
もちろん、頑固なのでホームラン一点にこだわった。
⚪︎当時の打法の常識やムードに流されなかった。
⚪︎頑固に自分のスタイルを追求した。
⚪︎目先の利を追わなかった。
⚪︎ホームランバッターという自分の使命に集中した。
⚪︎どんなに調子を落としても、初期設定の使命をやり抜いた。

個人の生き方について、すごく深いお話だと感じます。

先日、大横綱だった千代の富士のお話を聞きました。
勝つためには、あれこれやらない。
自分の型を一つに絞ってとことん追求する。
立会いの一つの動作で、5つのことを瞬時におこなう。
これだけを来る日も来る日も繰り返す。
王さんのお話と通じます。

国の行方も心配ですが、先ずは自分の足元をかためよう。

空気やムードに流されず
自分スタイルを発見し
とことん追求するということだ

「我が型を 愚直に貫く 決意する」

ー対等ということー

2015年1月1日 19:28

『一にち一みり』 NO.035

ー対等ということー

⚪︎ポイントカードありますか?
⚪︎いや持っていません。
⚪︎失礼いたしました。

お客様を囲い込むために、どこもかしこもポイントカード。
ポイントカードをお持ちのお客様にポイントを付けることを促さないと、
店長にもお客様にも叱られる。
ポイントカードの有無を尋ねて、持っていないと答える顧客には、
失礼いたしました、と平身低頭。
持っていないことに対し、謝られることに違和感覚えながら、
今日もあっちの店こっちの店で失礼いたしましたのオンパレード。
失礼いたしましたという意味はすでになく、この状況を回避するための言葉にすぎない。
失礼いたしました、ではなく、かしこまりましただったらまだ分かる。

□お客様は神様か?

お客様に、心からのおもてなしをするために最上級と思われる言葉を使ったにすぎないと思う。
客となる消費者は、あまたあるラーメン店の中から自分でセレクトしてお店に足を運びます。
大盛りで、チャシューの厚さ大きさから、この値段は妥当だなと判断し注文、待つこと10分。
想像通り美味しい、いや大不満足。でも、良くも悪くもあなたの自己責任。
文句を言うのは筋違い、きちんとお金払って帰りましょ。
商売、事業は、商品やサービスをお客様に提示して、お客様が注文した時点で契約成立。
このように、払うお金の価値といただくものやサービスが、
釣り合っていない時もありますが、商売、事業、基本は価値と価値との等価交換。
どちらが、偉いとか偉くないとかという関係ではないはずです。

誰もが、お客様を迎えたり、お客様として迎えられたり、日々攻守交代を繰り返す。
コンビニ、カフェや居酒屋で繰り広げられる、
同じ人間同士が、必要以上に極端に、上になったり下になったり強いストレスを与え合う。

これはきっと、誰もが通うコンビニだけの現象ではなく、
必要の無い、無用のストレスの与え合いは、会社や学校さまざまな場面で存在すると思います。

□相手との関係性を示す言葉から考えよう

⚪︎年上、年下。誰は僕の一コ上とか二コ下とか。
⚪︎先輩、後輩。一生上下関係は不動です。
⚪︎親子関係。
⚪︎夫婦関係。
⚪︎先生と生徒、師弟関係。
⚪︎男か女か。
⚪︎上司、部下。
⚪︎本社の人、子会社の人。
⚪︎元請け、下請け。
⚪︎買う人、売る人。
⚪︎学閥、派閥。
⚪︎親分子分。

こうして列挙してみると、人との関係性や、人を区分する言葉はたくさん存在する。
実際には、さまざまな言葉が組み合わさり、複雑な関係を幾重にも重ねて生活を送っている。
もちろん、立場や役割を明確化することで、ある関係の元での目的を達成させるための言葉としては大切な意味がある。
ただ、このような言葉の多くには、双方どちらかの優位性を示したり、
上下を明らかにさせるニュアンスも多く含まれていると思う。

□対等とはどういうことか

◇人間関係の一丁目一番地は、信頼。人として人間としてその人を信頼できるかです。
◇信頼を形成する前提は、人として、全ての人との関係を対等とみなすことです。
◇対等とは、相対する双方の間に優劣、高下などの差のないことです。
◇対等ということをもう少し分かりやすく言えば、全ての人を尊重すること。

□対等は素晴らしい

◇日々私達はたくさんの人と出会います。
会う度に、その都度相手を値踏みする、上下を探る必要が全くなくなります。
◇特に自分が優位な立場にあるときほど、対等に接する姿勢、尊重する姿勢は、
感謝を持って受け入れてくれるはず、嫌がる、困る人はいないと思います。
◇相手に対して無用なストレスをかけない。
相手からストレスを受けても、さらりとかわす、あるいはきぜんとする。
◇全ての人と対等に接すると決めた瞬間から、出会う全ての人との関係は、簡単でシンプル。
◇対等に接するということは、生き易く、心地よい。

□対等を態度や言葉、行動で示すには

◇個人としての高い自立性を身に付けようと努力する。
◇どんな状況でもタフに切る抜ける覚悟を持つ。
◇特に、相手より世間的に上の立場にいるときは、謙虚に対等を貫こうと決める。

「ふと見ると となりのカツが でかく見え 心ならずも 気が沈む」

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