独立宣言ブログ

Facebook

ー順風と逆風ー

2015年7月24日 12:44

『一にち一みり』 NO.064

一順風と逆風ー

台風の影響からか昨日も今日も風が強く吹いている。
いつも走る江戸川の土手は、回りから5メートル程高く、さえぎるもは何もない遊歩道。
そこを走ると一段と強く風を感じます。
行きは筑波山を眺めながら北上し、帰りは東京湾に向かい南下します。
行きは南風に乗って順風満帆。帰りは、逆風に向かって遅々として進まず。
順風も逆風もどちらも外的な要因、走るという行為に強く影響します。

順風の時、最初は風が背中を押してくれていると感じながら調子良く走ります。ただ、やがて風の存在を意識しなくなります。まるで、自分の力が増したかのような感覚で快調に飛ばすことができます。
風の存在に改めて気がつくのは、帰ろうとUターンした瞬間。あ、こんなに強風が吹いていたんだと気がつきます。風に乗って、調子に乗って随分遠くまで来てしまったことを後悔します。
帰りは、まさに風に逆らいさからい、一歩づつ耐えに耐えて走り続けます。

そこで考えました。人は随分手前勝手な生き物ではなかろうか?
うまくことが進んでいる時には、自分は随分力をつけた、このままこの調子が続くものと考える。
会社であれば、自社は案外優位性が高いかも、こんな状態がずっと続くと考える。
逆にうまくいかない時には、自分ではなく、周りの人や、外部環境のせいにしがちだということです。

ではどのように考えれば良いか?
順風な時には、周りの応援や手助け、まさに背中を押してくれている、運も味方してくれたと、順風でいられることに感謝する。
この順風がいつまでも続くとは思わない。やがてくる逆風に備えて次の一手や努力を怠らない。
逆風下にあっては、逆風にさからってでも強く前進できる力をつける。
人として、会社としての器を広げるチャンスと捉え、逆風に向かって真っ直ぐに勝負する。
やがて来たる順風に乗って、大きく飛躍するための準備をする、力を蓄える。
このようにどちらに転んでも、ポジティブに思考することが自分の糧になる。
自立的であり、生産的であり、常にやる気を維持し、周りの人にも好影響を及ぼす考え方だと思います。

ー睡眠の効能ー

2015年7月10日 16:05

『一にち一みり』 NO.063

ー睡眠の効能ー

最近、体のコンディションが、ものすごく仕事の生産性に大きな影響を及ぼすと強く感じます。
体のコンディションとは、心身のコンディション。心と体のコンディションを整えるために大切なことは充分な睡眠だと思います。

充分な睡眠からは、さまざまな効能が生まれます 。
気持ちに活力があふれ、やる気がわきます。考えは、ポジティブ、前向き、前のめり。
思考は、長続きし、良いアイディアや知恵が湧きます。

一方、睡眠不足、即ち、疲れている、疲労が蓄積、疲弊している。このような状態からは、全く正反対の悪しき状況が生まれます。気持ちは、高揚せずにやる気が湧きません。考えは、ネガティブ、何事もうまくいくとは思えない。思考は長続きせず散漫に。ますます、疲労感や徒労感にさいなまれ、良い考えにたどり着かずに、悶々とする。まさに、バッドスパイラルに落ち入ります。

影響はこれだけではありません。気分の悪さは、周りのメンバーにも直ぐに伝染します。
当事者のみならず、周りの人にも強く悪しき影響を与えます。
特に、役職者など元々周りのメンバーに影響力を持っている人が、このような状況に落ち入っている場合は、さらにさらに悪しき影響を拡散させることになります。

人はピンチに立った時、寝てる場合じゃない、寝る間を惜しんでもやるべきと考えます。
短時間で解決しそうなケースは、こうすべき場合もあります。
ただし、長丁場、長いレースを走り続けるためには、時々に、充分な睡眠を意識して取る習慣を身につける方が得策だと思います。
長い時間をかけることは、仕事の目的ではありません。クオリティーの高い結果を出すことが目的です。充分な睡眠を取り、短時間に成果を示すことが大切です。
私は昔から、どんな場所でも瞬時に眠ることができます。昼休み15分間の昼寝だけでも随分リフレッシュします。午後からの再スタートを気分良く始められます。

やはり我々は生身の人間、意識して、心身に栄養を与えるべきです。
そして一人一人が、プラスのオーラ、ポジティブな空気を意識して作り出す。
特に、リーダーは常にごきげんで、笑顔が一番。
チームメンバーの意識と心を合わせて皆の力を結集し、生産性高く、良い結果を出すことに力を注ぐことがリーダーの最も大切な役割だと思います。

ーP.ドラッカー先生のお客様第一を考えるー

2015年7月3日 11:45

『一にち一みり』 NO.062

ーP.ドラッカー先生のお客様第一を考えるー

ドラッカー先生は説いています。
『企業に中にあるのは、唯一コストのみであり、利益は常に企業の外(市場、顧客)にしかない。』ゆえに、会社の内側から外の世界を眺めるのではなく、会社の外側に立って自社を眺めるべき。具体的にはどのようにせよということでしょうか。

《考や行動の正しい道筋》
お客様は必ず、会社の外側に存在する。外側の市場で事業や各々の生活を営んでいる。
買い手としてのお客様が、ものすごい数の商品やサービスの中から選択する。
選択する判断材料は、自分の課題を解決してくれるか、自分が欲しているか、買うと嬉しいか、などの自分にとってのメリットを考えた上で購入します。コンビニであれば陳列している棚からほんの数秒で購入商品を決定します。もう少し高い商品であれば、スペックや評判なども考慮します。
このように、買い手が全てを決します。
会社の内側にいて、内側から考えて、自社ができること、自社がやりたいことを商品やサービスとして提供してはいけないということです。
会社の外側に立ち、お客様と同じ視点に立ち、お客様に提供すべき商品やサービスの価値とは何かを考え抜いて、具現化することです。外側の視点とは、社内常識や業界常識を疑い、前例や慣例を打破することです。特別に強い意識を持たないと、すぐに内側の視点、社内事情を優先しがちです。
内側の視点から外側に切り替え、外側の視点を維持することは、最も大切なリーダーの役割です。

《お客様の視点に立つということ》
お客様の視点がどこにあるのか、どこに向いているのか探す手立てで最もダイレクトな手段は、お客様の声を聞くということです。何かれとなく理由をつけてはお客様の元を訪ねるということ。メールで済むことでも、訪問し直接お会いして声を交わすということです。
とかく真面目な社員ほど、難しい顔をして会社のデスクに終日しがみついていることが仕事だと錯覚しがちです。利益の源泉は外にある、外に出かけてお客様に会わずして仕事は成り立ちません。外に外にと声をかけることがリーダーの大切な役割です。
ありがちなことは、社員一人一人が貴重なお客様の声を聞いてきても、自分だけの引き出しにしまってしまうこと。直接お客様の声を聞きに出かけられない人を含めて、関係するメンバー全員の共有財産とすべきです。これもまたリーダーの大切な役割です。

《マクロ的な視点で市場を見る》
お客様の声を聞くということと並行して、広い視点から市場を眺めることも大切になります。
市場のトレンドを把握する。今や経済に影響する要素は多岐に渡ります。世界で起こっていることがたちどころに我々の生活に影響する時代です。
先ずはワールドワイドな視点を持ち、自分の業界のトレンドに引き寄せて見る。
先ずは森全体をざっと眺めて、自社のビジネスを詳細に分析する。
そのためには、新聞や経済誌、インターネット、書籍などから広く情報を収集する。今や情報は洪水のように押し寄せます、取捨選択することはとても難しいことですが、あまり時間をかけずに直感を信じてアプローチするしかないと思います。

ーお客様第一を徹底するということー

2015年6月19日 12:40

『一にち一みり』 NO.061

ーお客様第一を徹底するということー

仕事には様々な種類があります。古典的には、一次産業(主に自然を相手の、農業、鉱業、漁業)、二次産業(加工業、製造業)、三次産業(一次、二次以外の全産業、広い意味でのサービス業)。
最近では、一次も二次も三次も一手にやってしまおうという六次産業という言葉もあります。
戦後の高度成長期には、人口の増加や、所得の飛躍的な増加に伴うマーケットの拡大により、どの産業も皆が勝ち組、正に現在の途上国の様相だったと思います。主に、プロダクトアウト、作り手の理屈で業績を伸ばすことができた時代。その後、バブル時代、バブルがはじけ、リーマンショックなどの経済変動を経て今があります。少子化に伴う人口の減少、超高齢化社会をむかえての労働生産人口の減少。
マーケットも働き手も縮小し、皆が勝てる時代はとっくに過ぎ去り、プロダクトアウトではなく、マーケットイン、買い手の理屈を優先する時代と言われています。買い手の理屈を優先して考える、正にお客様第一を徹底するということです。ただ、プロダクトアウトが全否定されているわけではなく、必ずしも買い手が自分が欲しいものを知っているわけではなく、形ある商品として提案して初めて価値を知る、スマートフォンのような例もあります。
大切なことは、今や知恵や工夫の大競争の時代だということ。プロダクトアウトでもマーケットインでも、目線は常に買っていただくお役様に向いていなければならないということです。
最終的な消費者やユーザーにサービスや商品を提供する、サービス業的な視点、アプローチがどの産業にも欠かせない時代になったと思います。サービス業的な視点、アプローチとは、本当にきめ細やかにお客様の喜びや満足感、気持ちを理解しようとすること。サービス業に従事する女性比率は、他の産業と比較すればかなり高いはず。お客様第一を徹底するには、女性的な感性がすごく大切だということが分かります。

お客様第一を徹底するという、お客様とは誰のことでしょうか。
こんな経験をしたことがあります。
あるレストランでは、キッチンのコックさんが一番偉く、お客様の意向ではなくコックさんのご機嫌を伺いながら皆が仕事をしています。二度と行くまいと思いました。
一方、ある居酒屋では、キッチンの人もサービスをする人も、目で会話しながら和気あいあい、楽しそうに来てくれているお客様に集中している。本当に気持ちよく、また必ず来たいと思います。
レストランでは、顧客と接するのはキッチンで働いている人ではなく、お店でサービスをする人。
会社でも、営業の人や、販売する人が顧客との接点を持ちます。
顧客と接する人だけがサービスのあり方を考え実行すれば良いと考える人がいます。
これは間違い、最終的に買っていただくお客様に、サービスや商品を届けるために関与する人全てが、
お客様第一を徹底しなければなりません。一次的に貢献する相手をお客様と思う、お客様と見なすことが大事だと思います。間接部門の人は営業の最前線に立つ人を徹底的に支え、支援する工夫をする。
経営者にとっては、サービスや商品を生み出す社員も大切なお役様。お客様第一を徹底するということは、徹底的にチームが正しく機能する、チームワークを徹底的に向上させることです。

お客様第一を徹底するということを、ほとんどの人は分かっている、そんなこと常識だと考えます。
知識として分かっていることと、考え抜いて実践しているということには、大きな落差があります。
知識のみでは何もやっていないことと同義です。
日々の全ての仕事を、お客様のことを考えることに費やす、お役様のために行動することに費やす。
現在のお役様は誰か、将来お客様になっていただきたいお客様は誰か。どのようなお役様に、どんな喜びや満足を得ていただきたいのか。どのような強みや価値を提供すべきか。そのためにはどのような強みを備えるべきか。
考えに考え抜いて、たくさんの仮説を考え、様々に試してみる。
実践して初めて反応が分かり、仮説の正しさや間違いに気付きます。
お客様第一を徹底するということは、このようなPDCAサイクルを回し続けること。
すぐに成果がでる場面も、何年もかかることもあるかもしれません。
会社の仕事をこの一点のみにフォーカスして、正しくPDCAを回せば、お客様第一を徹底する深度がどんどん深くなると思います。

ー継続は力ー

2015年6月12日 13:51

『一にち一みり』 NO.060

一継続は力ー

今日は、継続は力ということを考えます。
先ずは継続する事とはどんな事か?各々の人が時々に応じて、やるべき事、やった方が良い事、本質的な事や大きな事を達成すためにすべき事だと思います。
他の人からの指導、アドバイスであったり、自発的な自分の思いや、自己実現を目指すために継続しようとします。

次に継続は力の力とはどういうことで、どうすれば養い強くすることができるのか。
ある事を、例えば毎日繰り返し持続する意志の強さと言い換える事ができます。

私は昔からいつも、こうなりたい、あのようになりたいと、あるべき姿や理想を空想したり妄想する事が好きでした。毎年年末になると来年こそはと考え始めます。1月1日からの歩み、三ヶ月後の成長した姿を思い描きます。ところが、本当に典型的な、絵に描いたような三日坊主。

ある時に気が付きます。すべき事は、毎度毎度三日坊主に終わってしまうのに、なぜタバコを吸うことはずっと継続できているのか?なぜ朝パッと起きる事ができないことを継続できているのか?
分かりました。食後の一服や毎晩の夜更かしを、意識しなくてもできるようになるほど反復練習した成果なのです。無意識にできる、つまり習慣化した結果です。

よし、良い事を習慣化する訓練をしようと決めました。そのためには、とにかくやる行為そのもののハードルが低い方が実現しやすそうです。当時、脚下照顧という言葉を知りました。仏教の言葉で、本来の意味は、他に理屈を言う前に、先ずは自分の足元を見よ、自分を顧みることが大事だということだそうです。一般的には寺の玄関などにこの言葉を貼り、脱いだ履き物を整えよ、という戒めの言葉として使われています。
さすがにこれならできるだろう。家に帰った瞬間の数秒で、自分と家人の靴をそろえることはできるはず。以来もう何年もやり続け、すっかり習慣となりました。本当に些細なことですがこれを契機に、三日坊主病が徐々に治りました。今では、毎日やるべき事、毎週やるべき事などのto do listを定め、継続することができています。1日や2日抜けてしまっても神経質にならずに3日目に再開すれば良しと、気楽に継続しています。
こんな経験を経て考えると、継続するための意志の力とは、何かを継続することで強くなる、継続すればするほど強くなる。さらには継続する時間が長くなると習慣化できる、今ではこんな風に思っています。

プライベートでも会社の仕事でも、何も意識せずに生活をしていると、後から振り返ると5年や10年はあっという間に過ぎてしまいます。もちろん日々忙しく過ごしています。日々、細かく時間を区切られ、時間に追われ、あれもこれもと慌ただしく過ごしています。ただ、深呼吸して考えれば、我が人生をどのようにしたいのか?、会社の業務を根本的に変化するには?などの本来最も多くの時間を費やして考えるべき本質的な事に目が向かない、本質的な事ほど先送り。冷静に考えれば、本質的な事ほど時間をかけるべきであり、本質的な事の高みを目指して、日々継続して努力すべきという事は、誰にも理解できる事です。ここは一旦踏ん張って、忙しくて手が回らないということではなく、本来もっとも時間をかけるべき本質に迫る。より本質的で大事なことにアプローチするための行動を、継続し、習慣化するまでやり抜く事が大事だと思います。最後に継続して習慣化すべきことを一つだけ挙げるとすると、それはものごとの本質を問い続ける、探し続けることだと思っています。

ー叱ること 叱られることー

2015年6月5日 14:03

『一にち一みり』 NO.059

一叱ること 叱られることー

叱ること、叱られることを考えてみました。
叱ることは、子供にとって、特にもの心がつく過程では大切な親の役割だと思います。
ただ、昔ほど大人が子供を叱る、叱責する場面が少なくなったように思います。
かつて、一般的には親も教師も、理にかなっているか理不尽かに関わらず、叱りとばすことが多かった。従って、叱る側も叱られる側も、叱ることに慣れている、叱ることへの免疫が備わっていたように思います。かつて私も会社に入って間もない頃、ある部長からあたりに響く大声で、バッカモーンと罵倒された事があります。びっくりしたと同時に、やった本気で叱られたと、痛快な思いでいっぱいでした。すごく信頼感があり、仕事ができ、公平な方だったから、この人に大声で叱られ本当に良かったと思いました。後にも先にもこのような叱責の経験はありません。

何故人は叱るのだろう、何故人は叱られるのだろうか?
叱る人と、叱られる人との価値観の異なり、考えの差異、行動の取り方の違いなどの、何らかの相違、ギャップがあるからこその行為、その人のためになるべき行為だと思います。
叱るばかりではなく、何らかの動機付けをして、子供や部下の育成をはかる責任を持っている人は、子供や部下との接し方を日頃からじっくりと考えておくことが大切な気がします。
ケースに応じて、叱る、注意する、ほめる、励ます、物事の道理を理解していない場合は理を持って諭す、教えるなど、育成するためのガイドを自分の中に備える事が必要だと思います。
このような拠り所がないと、その場をしのぐだけ、場当たり的、一貫性のない行為を繰り返すことになります。正に、動機付けいかんによっては、子供や社員の自由な考えや、行動する芽を積む行為になりかねません。子供も社員も何が正しいか判断できずに、結果、親や時々の上司の顔色ばかりを気にする人を育成してしまいます。
私の経験からは、叱るべき場面では、即座に、短時間叱る、あるいは注意する、諭す。
併せて、何故叱るかの道理、理屈を伝える。叱られた人が前向きに次のステップを歩めるように、後のフォローをすることが大事だと思います。
ただ、何時も思うようにできたわけではなく、事なかれ的に済ます、穏便に納める、曖昧なまま放置することも多くありました。振り返れば、そうした方が良かった、いや反省することしきりと、様々な思いに駆られながら今に至るというのが正直な気持ちです。
ただ人を育成する責任を負っている人は、周りの人を動機づけることを意識しておこなうことと、動機付けた結果について常に考え続けることが大事だと思います。

一日本と欧米との人の育成に関する大きな差異ー

2015年5月23日 00:10

『一にち一みり』 NO.058

ー日本と欧米との人の育成に関する大きな差異ー

ゴールデンウイーク中にNHKのBSで、こんな番組を見ました。
ある専門分野のプロ中のプロが、日本の子供達を指導する番組です。
この回は、新宿の少年サッカーチームに大物の指導者が登場するシーンから始まります。
現れたのは、全日本フットサルチームの監督をしている、スペイン人の大男。
子供達は、外国人だと思っていなかったらしく、監督の矢継ぎ早の質問に、もじもじして答えることさえできません。
監督は一切構わず、どんどん子供たちの目線に立ってアプローチします。

もちろん、そのチームには日本人の代表やコーチがいます。
先ずは、監督は日本人コーチによる何時もの練習をじっと観察します。
先ず監督が指示したのは、頭を使うこと、素早く考え行動することです。
すぐに理解できる簡単なルールを子供たちに話し、自らが輪の中に入って、ボール遊びをさせます。
15分くらいで少しなれると、すぐに違うルールの遊びが始まります。これも新たな遊びを理解させる訓練になります。中には、足で蹴らずに手でパスをすることもさせます。
とにかく、360度に目配り気配りをさせて、即座に考えて行動する訓練。あっという間に子供達は夢中になって取り組みます、さらには1日目にしてこの監督が大好きになってしまいます。
この監督の、一瞬での子供の気持ちのわしづかみに驚きました。
国をまたいでも、人間的魅力の大きさを、子供達はすぐに理解できるようです。

次の日は、チャンスをつかむためには、積極的にリスクを取ることを教え始めます。
今までの、そのクラブの教え方は、実は真逆のことを指示していました。
ボールを奪われないように、ゴールから遠くでパスを回し続け、ゴール前のディフェンスが崩れたら、初めてボールを中に入れる。
この監督は、ゴール前のディフェンスを崩すために、どんどんボールを中に入れる、リスクを避けては点は取れない、チャンスはつかめないと教えます。

次には、様々な実践のケースワークをします。全ての子供にやらせて、次の判断、アクションをどうすべきか、時間が掛かっても子供に答えを求めます、絶対に答えを教えません。子供が正しく考え判断できるまで何度も繰り返します。1人のディフェンダーの、おとなしそうな男の子。今まで一度もシュートを打ったことがありません。そのチームでは、フォワードに点取り屋が何人もいます。恐らく、彼の中では、ボールが来たらフォワードの気の利いた選手にパスをすることが、彼の役割だと思っています。
監督は、このおとなしいディフェンダーに、ゴール前の絶好の位置にボールをパスします。彼は、後ろに何人もの敵に囲まれ、前のゴールにはキーパーだけという状況でも、シュートをせずにパスを出す見方を探します。何度も、繰り返し彼に考えさせます。彼は、自分がシュートすべき事に気が付きます。
最終日の練習試合で、彼は人生で初めてシュートを放ちゴールを決めます。

次には、両親とコーチを交えて懇親会をします。既に、子供達が日々夢中になって取り組む姿を目の当たりにして、コーチも両親達も、監督に全幅の信頼を感じています。
そこで監督が話した事は、練習中や試合中に、叱責や罵倒をしないで欲しい、日常の生活においても、
あれもだめ、これもだめと、小言を言わないで欲しいというお願いでした。とかく、シュートを外せば、何でパスしないんだ、パスを回すと、シュートを打つ場面だ、全て結果を見てから叱責を繰り返す。
子供は、いつの間にか試合に集中するのではなく、コーチや親に叱れないように動くもの、何をやって良いかの判断ができなくなってしまう。大事な事は、自分で考え、判断し行動した事は、結果はどうあれ先ずはほめよ、という事です。後日談で、ある少年はお母さんの小言が激減したと喜んでいました。
最終日に、いつもは勝ったり負けたりのチームとの練習試合、何と9-0で勝利します。

この番組を通じて、日本人のメンタリティーというのは実は子供の頃から、このように良かれ悪かれ、培われているのかなと、すごく考えさせられました。

この番組のニュアンスをお伝えするために長文になってしまいました。
お読みいただきありがとうございます。

ー本気を発揮できる幸せー

2015年4月28日 12:18

『一にち一みり』 NO.057

一本気を発揮できる幸せー

本気に人生を送ることを深く考える場面を経験しました。
長野県の会社を訪問させていただいた時に、社長にお連れいただきました。

上田市にある、無言館という戦没画学生慰霊美術館です。
戦没画学生の遺品になってしまった沢山のデッサンや絵画、
日記やお写真などが多数展示されていました。

どうしても亡くなったお年に目がいってしまいます。
20歳から30歳の間で短い生涯を終えられています。
中国やフィリピン、ラバウルや内地で、戦病死や爆死、
歩哨に立っているときに狙撃されてなど、解説が書かれています。

最後にご家族へ残すために、お母様の肖像。
ご家族団らんの風景、貧しくて団欒なんかできなかった方が空想で描かれたそうです。
中でも結婚したばかりの青年が、奥様となった方の肖像画と、
彼が初めて裸婦を描いた奥様のデッサンがありました。
本当にどちらも初々しく、彼女への最後のメッセージであり、
いつまでも自分を忘れずに大切にして欲しいという願いのように思いました。

本当に彼らは、これからの長い人生で、
好きな絵を本気で何度もなんども描き続けたかったのだろうと思いました。
抗うことのできない力で、皆人生を強制終了させられたのです。
彼らやご家族の本当の意味での辛さや無念さを当事者ではない私には理解できません。

ただ、この豊かな世に生きる身として、本気を発揮できる幸せを思いました。
自分自身をより高い頂に立たせるために、進化成長の歩みを続けます。
周りの人々を幸せにするお手伝いを、もっともっと真剣に本気で取り組みます。
彼らからのメッセージを素直にこのように受け取るべきと考えました。

一勝負事を見て考えたー

2015年1月24日 20:58

『一にち一みり』 NO.056

一勝負事を見て考えたー

昨日から今日にかけて、サッカーにテニスにと、TV観戦が忙しい。
サッカーはアジア選手権、テニスは全豪オープン。
過去の成績から判断したランキングの上下はあるものの、本戦に勝ち残るチームや選手、
あるいはシード選手は、誰もが強い、誰が勝ってもおかしくはない。
昨日からの二つの試合、どちらも相手に先行を許す。
サッカーは負けて、テニスは逆転勝利をつかむ。

どちらもかなりの長時間試合が繰り広げられる。
時間の経過に従って、疲労が蓄積、コンディションは刻々変化して、長丁場の中での一進一退。どうして、一方が勝ち、一方が負けたのだろう。

私のスポーツのキャリアは、サッカーは会社の飲み会に行きたくて数試合だけ数合わせで出させてもらった程度のみ。テニスは、何十年と草テニス、全く上達せずにあきらめた。
こんな私が言うことには、一切の信憑性はありません。

テニスの場合は、短い時間の間に必ず双方がポイントを奪い合う、あるいは双方にポイントを与え合う。サッカーの場合は、ゴールネットを揺らさない限り得点は入らない。どんなに有利な状況で、どんなに相手より無茶苦茶頑張っても、ゴールをしない限り徒労に終わる。
どちらも相手よりポイントを上回らない限り勝利しない。
ポイントとは結果を出すこと。結果を出すこととは、数少ないチャンスを決めること。
さらには、イージーミスをして相手にポイントを与えないことだ。

私のテニスは、全てのショットを加減せず、全てに渾身の力を振り絞りエースを狙う。
正直、ほとんどのショットはイージーミスの繰り替えし、自滅の連続。
ダブルスの仲間の選手にすいませんねと、手を合わせることばかり。

かなり乱暴な物言いだと重々承知しているけれど、
勝負とは、試合中に巡ってくる数少ないチャンスに決めることと、ミスを最小化することだ。
野球でも攻めか、守りかなどど、得点能力か、失点をしないチームかということが語られる。

誰かと競うということでなく、日常生活でも、何かを成したい、何か達成しようとするには、
きっと、単に毎日努力してます、頑張っていますということではないはずだ。
小さくとも目で見える結果を残すことを、繰り返すことではないか。
結果を出す訓練を日々おこなうということじゃないかと、ふと思う。

一マクロとミクロー

2015年1月23日 15:36

『一にち一みり』 NO.055

一マクロとミクロー

ついこの間の総選挙、景気は良くなった、いや自分には良くなったと感じないと、議論百出。
日本全体から見れば、人口減少を止める策は無く、かつての高度成長時代の到来はあり得ない。国が生み出す付加価値の総和のGDPの成長も、今後途上国には遠く及ばないことは明白だ。
一国のこのような状況も、世界全体の政治、紛争、経済、気候などのうねりに連動し、
円安円高、デフレにインフレ、景気の良し悪し、めまぐるしく変化を続ける。

このようなマクロ的な経済情勢の分析や評価は、政治家や経済学者、マスコミに任せよう。
賢明な経営者にとっては、経済情勢がどう転ぼうが上手く経営する、
上手く舵取りをしたいと、必死になって考え行動するのだと思います。
円安円高どちらに振れても可能な限りのリスクを回避しようと知恵絞る。
景気全体が浮揚していても、思わしくない企業は沢山存在する。
景気の変動に関わらず増収増益を何十期と続けている企業もある。

マクロ的な経済情勢に事業や商売が強く影響を受けることは間違いない。
従って、マクロ的なトレンドを把握しようとすることは大切だ。
ミクロの大きな集合体が、マクロを動かしているとも言える。
ただ、経営者とは、我が事業、ミクロに大きな責任を負っている。

私達は経済情勢が短期的にも中期的にも、必ず大きく変化することを過去から学習している。
変化することが、良いことなのか、悪しきことかは、個々の事業の特性に応じてさまざま。
結局は、マクロ的な経済変動が必ず起こるという前提で、
個々の事業の特性に応じて、自己責任で先手先手を打っていくしか道はない。
ミクロ的に考えれば、事業に責任を負う人の知恵と工夫、才覚により、
事業を持続させるかやめるか、他事業に注力するか、新たな事業を始めるか、などを判断する。
先日、42期増収を続ける社長からお話を聞く機会に恵まれた。
幼稚園に出向いての出張体操教室や体操クラブ事業。
当初は、そんなことはビジネスになり得ないと、誰からも相手にされなかった。
腰掛け社員ばかりで、入社してもすぐに次々に辞めてしまう。
ある時に、社員の結婚式に招待されて、社員とご家族の生活に責任を持とうと考え始める。
以来、社員の幸せのためを目的として、少子化という逆風下にありながら、42年間連続増収。業界一般の営業利益率が5%満たないところを、10%を優に越える利益率。

おそらく、当初はそんなに強い信念を持てずに試行錯誤を繰り返す。
やがては自分の道は間違ってはいない、いやこの道しかないと揺るぎない信念が形成される。
子供の数が減れば減るほど子供はダイヤモンドに変化する。
少数な子にかける、両親や両両祖父母の熱意やコストが飛躍する。
周りの動きに流されずに、決然と我が道を自信を持って歩んだ結果だ、と感動しました。
まさに一つのミクロも、動き方一つで、マクロの動きに翻弄されない好事例だと思います。

1 2 3 4 5 8